2026年6月14日(日)輪島教会牧師館完成記念式が礼拝後、新藤牧師司式のもとで、 教会員のみで「牧師館完成感謝式」を執り行われました。 ここに感謝をもってご報告申し上げます。 輪島教会は、これからさらに会堂建築に向けて歩みを進めてまいります。 今後ともお祈りとご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。



牧師館完成感謝式 説教 新藤豪牧師 エレミヤ書第29章4-7節 「主にある喜びを共に喜ぶ」 多くの皆さまから、顔も知らない多くの方々のお祈りそしてお支えにより、牧師館が完成いた しました。本当にありがとうございます。感謝いたします。「感謝です」としか言いようがありま せん。まことにこの牧師館には、多くの方々のお祈りと願いが込められていると思います。 2024年1月1日16時10分、能登半島地震により礼拝堂は全壊、牧師館は中規模半壊となり、 傾きが生じました。調べましたところ地下10mまでいっても硬い地層がなく、修復ができませんでした。そこで解体して建て替えとなりました。2025年9月にミサワホームと契約をしまして2026年5月31日に完成いたしました。 私たちは能登半島地震を体験いたしました。その現実はまた、聖書の民が直面した、日常の生活が瞬時に失なわれて啞然した出来事と似ています。それは、イスラエルの民のバビロンの捕囚の出来事を思わせるような大きな惨事であります。 しかし、エレミヤはその民にバビロンに移された捕囚の人々に手紙で語りかけています。その手紙にはこのようにあります。「イスラエルの神、万軍の主は、私がエルサレムからバビロンへ捕囚として送ったすべての者に、こう言われる。家を建てて住み、果樹園を造って、その実を食べなさい。妻をめとって息子、娘をもうけ、息子には妻を迎え、娘は嫁がせて、息子、娘を産ませるように。そこで増えよ。減ってはならない。(29:4-6)」 エレミヤは、人間的な努力で心の持ち方によって頑張って幸せになれると言っているのではありません。捕囚の民であるイスラエルを将来へそして希望へと向かわせた主の言葉を語ります。その言葉は何か、それが「家を建てて住みなさい、果樹を植えて生活をしなさい、妻をめとりなさい」だったのです。そしてエレミヤは、さらに続けました。「私が、あなたがたを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたがたにも平安があるのだから。(29:7)」 これが、聖書的に生きる人たちの姿だとエレミヤは言うのです。その姿を一言で言い表すとするなら、日常生活です。私たちが、日常を大切にして生きている姿です。エレミヤは日常生活を犠牲にしたり日常生活を粗末にして「生きろ」とは言わなかったのです。つまり、聖書的な希望に生きる人生は、日常生活を着実に生きて、家を建てて生活するのだというのです。バビロン捕囚という抑圧された時代であっても、家を建てよ、生活をせよ、育てよ、それがイスラエル的な希望の姿なのであります。 私たちが日々の生活を落ち着いて確実に生きていくのです。それが、たとえバビロンの捕囚の地であっても、能登半島地震、被災の地であっても、着実に生きる、それが希望に生きることであります。そしてそれが神を信じる祈りの生活でもあるからです。祈りには、主イエスが共にいてくださいます。そして、私たちのために主イエスと共に祈り続けてくださっている大勢の人たちが、私たちの背後におられます。そして支えていてくださることも事実であります。 エレミヤは、語りかけています。今いるその場所で家を建てて住み、その町のために祈りなさい。奥能登、輪島、七尾、復興はまだまだです。解体がまだ途中だったり、さら地が目立ったりします。しかし混沌とした現実を拒絶して避けるのではなく、その中にあってその町のシャロームを、平安を祈りなさいというのです。なぜなら、その町は私があなたを捕囚者として生きるために送った町なのだから。 私たちは「主の祈り」を祈ります。主の祈りは、「我らの父よ」と呼びかけて「我らの日用の糧を与えたまえ」と祈ります。我ら、つまり私たちの父に、私たちの糧をと祈ります。それは私の糧、私一人の糧、私一人分のパンをください、ではないのです。そうではなくて、我ら、すなわち私たちのパンをくださいの祈りです。つまり、私一人がお腹を満たすというのではありません。私たち、仲間のみんなにもパンが与えられますようにという祈りです。ですから、あなたも一緒に食べましょう、あなたにもパンを差し上げます。その心が、われらの日用の糧を祈る心の意味ではないでしょうか。 ですからバビロン捕囚のような震災、そんな現状は見ていられない。私のパンを一緒に食べましょう。パンを半分こしましょう。そういう思いのみな様に支えられてきました。教団、教区の多くの仲間たちの祈りに支えられてこの牧師館が完成いたしました。多くの人たちがお祈りくださった、たとえどんなことがあっても、どんなときにも希望を失わないようにと、みんながシャロームと祈りながら。私たち輪島教会に、輪島の町の人たちに、大きな力、希望を与えてくださいました。みんなで主にある喜びを共に喜びたいと思います。震災のただ中にあって困難なことがまだまだあるでしょう、しかし、人知を超えた神の御業が必ずあると信じます。どんなときにも希望を失わない、その生き方そのものを、今日、牧師館が完成したことで示されていると思います。神に対する信頼が希望の根拠となるのです。 お祈り 天の父なる神さま 私たちは、「神の造られたもの」の中で生きて生活しています。能登半島地震という現実の中にありますが、人知を超えた神の御業が必ずあると信じます。今日、牧師館を見上げながら、どんなときにも希望を失わない、町のために平安を祈る、その生き方をもって歩むことができますように。主よ、導いてください。 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
